日本防災士機構・日本防災士会 合同本部
東日本大震災・被災地支援活動の概要
(平成23年4月〜平成24年7月)
日本防災士機構・日本防災士会では東日本大震災の発生後、被災地支援合同対策本部を設置して、防災士による被災地支援活動を実施いたしました。その概要をご報告いたします。本支援活動推進のためにご寄付をいただいた方々のご芳名、会計報告については最終面に記載しております。なお、ここに紹介する活動の他、数多くの防災士、日本防災士会支部によって幅広い支援活動が実施されていることを併せてお知らせいたします。
寄付にご協力いただき、ありがとうございました
このたび、東日本大震災被災地支援に当る防災士への支援募金のお願いを申し上げたところ、以下の皆様方から、温かいご支援ご協力をいただきました。おかげさまにて9次にわたる支援活動を推進する貴重な支援金とさせていただきました。ここに、ご芳名をご紹介し、あつくお礼申し上げます。
(敬称略。順不同、同一都道府県内はご住所郵便番号順)
〈北海道〉棟方英雄、田坂和大、及川 清、渡部剛喜〈青森県〉小山内敬子、千葉和也〈秋田県〉熊谷安則〈岩手県〉清水上 裕、岩渕信光、〈茨城県〉京極泰久、池澤嘉紀、
橋本浩之、〈栃木県〉藤本幸弘、引地隆久、増山久雄、〈埼玉県〉加納 理、橋本 茂、関根則之、〈東京都〉玉田三郎、宮原正夫、菊池清友、津 聡、梅澤季美枝、西村道子、
佐々木 昇、島村まどか、渡辺 博、小林 聖、渡邉秀明、菊地孝明、寺澤 武、岡田直美、今井 誠、数井良吉、佐竹英夫、小杉忠彦、小宮多喜次、波多野怜子、小管 登、
豊田利明、海老沼保和、山本 活、日本防災士会足立区支部、笠原清子、茂出木庄一、吉田 正、杉浦幸子、鈴木みち子、原田龍彦、植野 博、安田裕宣、鈴木 満、北 裕介、桑原のり子、光澤 茂、山口富雄、青木邦勲、居樹しず江、吉井一弥、齋藤洋司、齋藤司郎、横尾重隆、斉藤政則、中川幹雄、前野浩之、鈴木徹也、古川貞二郎、
日本放送協会報道局、渡辺一宏、安藤正晃、加藤一己、寺澤恵太郎、佐藤和郎、三木 修、岸田賢司、野島勝啓、福家俊哉、太田良夫、浅見 信、生島 博、中村節子、
志賀功一、後藤英二、上林良久、小島 實、野部安重、宮川知雄、石原孝行、早坂義弘、小平 弘、栗原廣司、田中義幸、白川昭a、横山昭一、井原寿康、蜷洋一、
五十嵐賢次、茅野正巳、金子 勉、森 茂、吉田伸夫、井口正光、安藤興彦、有賀康郎、福田雄一、森 良博、芹澤一男、岡本靖子、鈴木和成、郡司愛子、尾林正男、高橋佳子、船木 進、志茂忠秋、浦野 修、石坂 優、八木由之、清水英毅、大野 孝、西岡賢二、臼井 毅、松村健一、鈴木茂広、東京多摩南郵便局長会、石井優子、水野 清、長田 博、清水美紀子、岩波信行、東京多摩西郵便局長会、根石征英、沢本泰幸、生田穣二、中澤孝行、〈神奈川県〉石原信雄、伊藤和明、滝藤浩二、村瀬興一、佐原道治、石渡郁男、
河内哲也、袴田知宏、正谷絵美、伯野元彦、今井和年、水島將驕A〈千葉県〉島田佳彦、谷 正美、武田徳夫、千葉惠一、佐賀悦男、石田 健、伊田 薫、〈新潟県〉河合則雄、
別府 茂、高橋健一、〈長野県〉八田悟志、上條公夫、〈山梨県〉剣持孝弘、〈石川県〉松田 陽、中村秀実、蔦 吉雄、橋本泰彦、勝井實千男、樽 敏文、角 豊光、向 清治、
中町 章、高田龍蔵、瀬清信、鶴見留治、狭間 勉、若山雅彦、岩ア良成、〈富山県〉富山県防災士会、石黒 猛、古木健二、冨堂正人、野上忠一、〈静岡県〉藤島章司、
清 泰治、佐野公一、前嶋清歌、戸島武徳、高橋正宏、今釜伸也、〈愛知県〉山岡宗希、影近博才、林 直道、石井計義、〈岐阜県〉太田豊和、内木孝之、田原幸雄、伊藤雅亮、
〈滋賀県〉岩本敏雄、川島幸夫、〈大阪府〉井関雅子、橋長忠司、川口大仁、〈京都府〉北村俊司、〈奈良県〉小西孝子、滝 実、大谷明雄、園田光雄、原田重利、
〈和歌山県〉上杉明男、〈兵庫県〉内田貞雄、前田勝典、上島仁嗣、中川 亨、今井昭夫、〈島根県〉西村充雄、〈広島県〉杉原 均、大元教義、纉c志、井良美、
〈香川県〉西岡洋子、谷本大作、野崎恭一、〈徳島県〉金子博明、武市 寛、原田久和、〈高知県〉井上睦子、〈福岡県〉上津遊和樹、〈佐賀県〉梶山 修、橋本恵美子、橋本英樹、
田口直司、貞方美博、〈熊本県〉北里敏明、浦本 喩、脇山博信、木村 仁、山田信男、〈大分県〉藤原龍司、三山砂義、三嶋尚士、渡辺幸一、中村和生、〈宮崎県〉黒木誠一、
〈鹿児島県〉井手迫豊茂、下木屋一樹、鬼塚廣人
■被災地支援活動の実施状況
(日程、参加者数、活動地〈すべて宮城県内〉)
第1陣 23年4月22日(金)〜24日(日)24名 亘理町・山元町
第2陣 5月27日(金)〜29日(日)42名 山元町
第3陣 6月3日(金)〜5日(日)52名 多賀城市
第4陣7月8日(金)〜10日(日)70名 七ヶ浜町
第5陣10月28日(金)〜30日(日)50名 山元町
第6陣 24年3月2日(金)〜4日(日)19名 山元町
第7陣 3月23日(金)〜25日(日)19名 山元町
第8陣 6月8日(金)〜10日(日) 15名 石巻市
第9陣 6月29日(金)〜7月1日(日)85名 山元町 〈参加者合計376名〉
■合同本部支援募金の会計報告
会計につきまして、以下の通りご報告いたします。
○収入の部
募金(244件) 1,843,818円
日本防災士機構から支出 15,166円
日本防災士会から支出 15,166円
合計 1,874,150円
○支出の部
第1陣〜第9陣交通費助成金 1,370,000 円
対策会議会場使用料 21,020 円
先遣隊・調査隊派遣費用 124,615 円
防災士スタッフコート・キャップ 337,785 円
雑費(宅急便) 1,450 円
本報告書郵送代 19,280円
合計 1,874,150円
■ [第9陣] 山元町で側溝清掃、農家支援
平成24年6月29日(土)〜7月1日(日)、東京地方郵便局長会の多摩東地区会、西地区会、南地区会、北地区会の防災士を主力とする郵便局長78名、宮城県南部の郵便局長3名、統括・現地リーダー・総務班4名の合計85名で実施。炎天下、側溝清掃と農家のビニールハウス解体作業に取り組んだ。
■ [第8陣] 石巻市で炊出し
日本防災士機構との合同対策本部による支援活動第8陣が、6月8〜10日に実施されました。
今回の主力は日本防災士会九州支部連絡協議会(会長・束田義夫宮崎県支部長)と地元宮城県支部(坂一憲支部長)。九州の支援メンバーは8日午後に仙台空港に到着、宮城県支部保田真理副支部長や合同本部・橋本茂事務局長(日本防災士会事務統括)らと合流して、被災状況を視察。発災時そのままとなっている建物や公共建築物、壊れた車両などに衝撃を受けました。とくに石巻市大川小学校では、犠牲となった84名の児童・教員の冥福を祈るとともに、次の災害に備え、どう被害を軽減するか、防災士として何ができるか、真剣に考えざるを得ませんでした。
翌9日、石巻市相川運動公園仮設住宅(108戸)を訪れて、炊出しを実施。メニューは長崎ちゃんぽんと熊本名産メロンで、ちゃんぽんは東北の方々にはあまりなじみがないようで、皆さん非常に楽しみにしておられたとのこと。100食以上つくるため、手分けして食材を用意し、湯を沸かし、調理して、午前11時30分ころから給食を開始。当日は雨で、テント内が狭いために、皆さんには鍋を持参していただいて自宅で召しあがっていただくこととしました。
約1時間で給食活動を終了。支援メンバーもちゃんぽんを味わったあと、後片付け。最後に、区長さんにご挨拶して、仮設住宅をあとにしました。
(左)大釜でちゃんぽんを作る、(右)宮城県支部、九州支部連絡協議会、合同本部のメンバー
■ [第7陣] 山元町で畑地の掘り越し、瓦礫の撤去
宮城県山元町で、平成24年3月24日(土)〜25日(日)、日本防災士会会員を主体とするメンバーによる災害復興支援活動が行われた。
活動内容は、山元町高瀬地区で、津波の襲来により畑地、苺ハウスが壊滅的に被災した地域です。山元町復興支援センターの依頼によりスコップで約20センチ掘り越し、津波により流入した瓦礫を撤去する活動で、一般ボランテア4名を含め23名で活動を行いました。
今回の参加者は年度末でもあり、参加者は以前と比べて18名と少数でしたが、複数回参加している活動経験者が11名でボランテア活動の意義を十分に理解しているためか活動がスムーズに行われた。また学生2名、18歳の高校卒業生2名(女性)も参加してくれました。
このたびの活動は体力を要する力作業でしたが、若干の筋肉痛を訴える参加者があったものの一人の事故者の発生も無く無事に終了しました。
■ [第6陣] 山元町のいちごハウスでの災害復興支援活動
合同対策本部による被災地(宮城県山元町)支援が、平成24年3月3日〜4日、防災士会会員を主体とする災害復興支援活動(第6陣)として行われた。
活動現場は山元町の農場で、3・11以前は稲作の田といちご農家のハウスが立ち並んでいた地域であったが津波により住宅を含め全てが流出し、土壌は全域にわたり塩分を含み農業の危機的な地域である。いちごは山元町の産業振興と経済復旧を目的に「山元いちご」をブランド化する復興事業として力を入れている作物だが、3・11により680人が死亡し全く人手が不足し前に進めない状況である。(農場代表取締談)
支援活動の概要は、いちごの苗床に手作業で保護用を部材取り付けるもので、内部を何回も往復する作業であった。農場の専務は、「1棟を5人で3日かかるものをこの人数で4棟を完成し、部材の手配が大変でした」と驚いていた。
このたびの活動は厳冬期であり、また年度末の繁忙期であるにも関わらず19名が参加し、13名は複数回参加している経験者で活動はスムーズに進められた。
■ [第5陣] 山元町でボランティア活動
10月29日〜30日、日本防災士機構・日本防災士会の合同対策本部による東日本大震災支援活動(第5陣)を実施いたしました。東京地方郵便局長会の多摩東地区会、西地区会、南地区会の郵便局長防災士を中心とした43名に、地元宮城県仙南地区会の郵便局長7名が加わり、総勢50名で宮城県山元町において活動しました。
任務地は長く立入禁止になっていた被災地で海岸から約2、3qの地点で、被害を受けた住宅やビルを見ると3メートルほどの津波が襲ってきた痕跡が残っています。最大余震(M8クラスといわれる)がまだ起きていないことから、ボランティアセンターからは「皆さんの乗ってきたバスを近くに停めておいて、いざという時は山側へ逃げてください」と言われました。すぐ近くに被災して営業していない3階建てのビルがあったので、緊急時にはそこへ駆け込むことも想定しました。
与えられた任務は道路側溝のヘドロ除去、清掃。しかし、一般的な住宅地などの側溝ではなく、幅約90p、深さ約1メートル30pほどもある大きなもの。コンクリートの蓋は極めて重く、特殊な器具をつかってようやく上げることができました。側溝内には津波による砂や瓦礫が30〜50pほど堆積しており、側溝内に入って土のうに入れる人、それを受け取って土のうを縛り、運ぶ人と手分けして作業しました。幸い天候には恵まれ、なかには6月に多賀城市で側溝清掃に取り組んで、今回2回目の人もいてリーダーシップを発揮するなど、スムーズな活動が進められました。
一日の作業を終えて、ボランティアセンターに戻って報告したところ、「防災士の皆さんは作業がていねいでしかも処理が早く、すばらしい団体ボランティアです」との言葉をいただき、つくりたての温かいおにぎりまで頂戴しました。
被災地では、終息に向かおうとするボランティアセンターもありますが、まだまだニーズが多いと実感せざるを得ません。また全国各地に避難しておられる方々もたくさんあり、引き続き支援が必要です。皆様のご協力をお願いいたします。
■ [第4陣] 七ヶ浜町で海岸清掃
合同本部派遣による東日本大震災支援活動第4陣は、7月8日(金)21時30分、東京都世田谷区を出発、翌9日(土)、東北自動車道国見サービスエリアでチーム編成、ミーティングの後、8時00分に多賀城駅に到着。ここで郵便局長会仙台北部地区会内ケ崎慎局長、郵政本社7名、熊本地区会4名と合流、七ヶ浜町の高台にて全員で犠牲者に黙祷の誠を捧げ、七ヶ浜ボランティアセンターに向け移動しました。
同ボランティアセンターで、仙台北部地区会15名、兵庫県姫路地区会5名と合流、ボランティアセンターでの活動マッチング、説明を受けて活動地へ移動しました。
今回の任務は、七ヶ浜町菖蒲田浜松ヶ丘海岸地区での海岸清掃でした。活動地域は、旧来の海水浴場を含み概ね3キロメートルに亘る海岸線の一部。砂浜には津波によって流されてきた大型のコンテナが各所に打ち上げられ、また漁業用の網、大型農機、流木、家屋の柱、板等があちこちに集められていました。また、直径50p以上、長さ10m程の建築用丸材も散乱していました。
われわれ以外にも、大学生、市役所互助会などの団体組織のボランティア約250名が参加。担当する区域を割り振り、連携しての活動となりました。当日は晴天で気温33度、湿度が高く、しかも無風の凪の気象状況で、日陰も近くにはないという悪条件でしたが、地元郵便局長夫人会4名の方々が、テント四張り、テーブル、飲料用冷水を入れた大型クーラーボックス3基、手洗い用ポリタンク2基、塩、塩飴、佃煮などを用意していただき、ボランティアを支えるボランティアを行っていただきました。
熱中症予防のため、金子勉・統括リーダー(元東京消防庁救急部長)らの指示で休憩をこまめにとりつつ、15時に活動を終了。ボランティアセンターに戻って報告を行いました。参加者は「もっと活動したい」「休憩を短くして活動しては」といった意気盛んな声も聞かれました。夫人会も含めると総勢70名となった、第4陣は大きな達成感とともに終了しました。
ボランティアセンターでのマッチング
海岸には大型コンテナも打ち上げられていた
がれき類を海岸からトラックで搬送する
丸太はそのままでは運べない
切断した木材を運ぶ みんなで集合写真
一日も早い復興をめざして
■ [第3陣] 多賀城市で復興支援活動を実施
東日本大震災合同対策本部では、東京地方郵便局長会多摩西地区会、同南地区会と合同で、6月4日(土)、宮城県多賀城市において復興支援活動を実施しました。
前日夜に八王子市、青梅市に集合し、バスで出発した郵便局長防災士は34名で、うち2名は福岡県からの特別参加でした。翌朝、大型バス駐車場となっている多賀城市老人保健センターに到着して、多賀城市ボランティアセンターの説明を受けた後、活動地である多賀城市八幡4丁目に移動。ここで、東北地方郵便局長会仙台市北部地区会の方々14名と合流し、東京からの合同本部員4名を合わせ、総勢52名をもって、一日、ともに活動しました。
今回の与えられた任務は、住宅地の約4mの道路両脇の側溝の清掃。重いコンクリート製の蓋をバールや専用器具、人力でもって取り外すと、津波によって運ばれた土砂やヘドロが10p以上堆積しており、一部は水が腐敗したような状況で、一目見て、一日も早く清掃しないと梅雨、夏場には大変なことになると感じられました。
東京チームの活動は、防災技術支援チームの金子勉隊長、同チームの安藤興彦統括リーダー、西地区会の河邊文勇会長、南地区会の福嶋浩之会長の統率のもと、7班に分かれてそれぞれ担当場所を決めて実施しました。
この日の天候は晴れ、日差しの強い中での活動となったため、定期的に小休止をとりながら活動しましたが、さすがに大人数による作業はめざましく、みるみるうちに側溝がきれいになっていきました。
昼休みには、地元の郵便局長夫人会の皆様が用意してくれたおしぼりで涼をとり、冷えた麦茶、おにぎり、漬物の提供を受けて、一同感激のうちにエネルギーを補給して、午後の活動に入りました。
多賀城市ボランティアセンターの指示により午後3時に作業の区切りをつけ、使用した一輪車、スコップ、バールその他の資材を水洗し、各自うがい、手洗いを済ませて、地元区長さんからねぎらいと感謝の言葉をいただいて、活動を終了しました。
翌日6月5日(日)には、仙台塩釜港周辺の被災状況を視察したあと、郵便局長会仙台市北部地区会の鈴木茂会長の案内で、七ヶ浜町の被災状況を視察。とくに全壊となった鈴木会長の郵便局の惨状には息を呑むばかりであり、激しい揺れの後の避難(職員の方々は全員無事避難)やその後の対応などについて説明を受けました。
「私としては、すぐにでもこの郵便局を再建、再開したいが、そうなったら地域の方々は郵便局が再開するのだから、前の通りに皆戻って来よう、ということになります。復興計画が定まらないうちに、それはできないのです」と語る鈴木会長の言葉に、震災復興の課題、難しさの一端を感じないわけにはいきませんでした。
その後、鈴木会長の見送りを受けて塩釜市に向かい、塩釜水産物仲卸市場等の復興状況を視察し、午後12時40分、帰路につき、八王子に21時30分頃到着して全行程を修了しました。
作業計画を説明 郵便局マーク入りヘルメットで事故防止
道路わきのがれきを撤去 見事なチームワーク
郵便局長・仙台市北部地区会の皆さん
ヘドロをかき出す 専用機材で重いフタを持ち上げる
七ケ浜町の被害状況について説明を受ける
全壊となった郵便局で被害状況の説明を受ける
総勢52名で活動
■ [第2陣] 山元町、亘理町でボランティア活動
会員様を中心とした有志による被災地支援ボランティア活動(第二陣)が実施されました。
5月27日(金)、東京都庁横に集合、大型バスにより出発し、宮城県の山元町ボランティアセンターに向かいました。
5月28日(土)、ボランティアセンターで受け付けした後、宅地内の瓦礫、泥だし、分別、庭木の伐採、除去、清掃、側溝の泥除去等を行いました。
参加者42名で所期の目的を完遂し、参加者全員健康上、身体上の問題無く、参加した皆様も満足されて終了しました。
東京都庁横に集合 山元町ボランティアセンター
山元町 齋藤俊夫町長(写真左)
瓦礫の撤去作業 土砂を詰めた土嚢を運ぶ
浜吉田駅前で集合(帰路)
ボランティアセンターから、全員にオニギリをいただく
■ [第1陣] 亘理町でボランティア活動
23年4月23日、津波によって甚大な被害を受けた宮城県亘理町で、ボランティア活動が実施されました。日本防災士会「防災技術支援チーム」の安藤興彦さん、高野甲子雄さん(2人とも元東京消防庁)を統括リーダーとして、首都圏、岐阜、山形から駆けつけた19名の防災士、現地亘理町の防災士・江川茂さん(日本防災士会宮城県支部)、橋本茂事務統括、日本防災士機構の中野篤さん、総勢24名が参加して、4軒のご家庭、いちご畑のビニールハウスのがれき撤去、床下泥出し、清掃を行いました。
○先遣隊による被害状況の確認
この活動の準備のため、4月16日、先遣隊による現地調査が実施されました。亘理町は、海側が壊滅的被害(家が完全に流されて、土台しか残っていない)、その少し陸側が甚大な被害(一部家屋が残っている。ここはボランティア活動が可能)、そしてさらに陸側の中心市街地はほとんど無傷という状況です。
この状況を見て、次週の活動計画を立てました。
写真1及び2:津波の強烈な力で木造家屋は跡形もなく流された
写真3 :津波の恐ろしさを物語る、壊れた家屋
写真4及び5:たくさんの自動車が流された
写真6 :地図で津波が襲ってきた方向を確認
○4月23日のボランティア活動
この日行った活動は、家屋の清掃といちご畑ビニールハウスの鉄骨等除去作業。
写真7:家の周囲に散乱する津波漂流物を、まず撤去する
写真8:次に家の中に厚く積もった泥を掻き出し、水で清掃。水道が復帰したことで清掃が可能になった
写真9及び10:ヘドロは床下に堆積。放置すると家で住むことができなくなる。床板を剥いで、ヘドロを掻き出す
写真11及び12:畑には車、木材、ゴミなどが押し寄せ、厚く積もっている。大きなゴミ、家具類などを手作業で除去していく