[紹介記事]
防災士として積極的に活動されている天野さん。
平成29年7月九州北部豪雨が福岡県朝倉地域を襲い、甚大な被害を受けました。
天野さんは、被災された方々に寄り添い、復旧・復興へ向けて少しでも力になりたい、そのような想いを持って朝倉市甘木に支援活動拠点、「防災士 朝倉災害支援ボランティア活動センター」を設立しました。
天野さんからいただきました活動報告の一部をご紹介させていただきます。
災害支援活動拠点開設 2017年7月
2017年7月5日、記録的豪雨が朝倉地域を襲い、甚大な被害を受けた。 被災された方々に寄り添い、復旧・復興へ向けて少しでも力になりたい、そのような想いを持って甘木に支援活動拠点、「防災士 朝倉災害支援ボランティア活動センター」を設立した。
センターは比較的被害の少なかった朝倉市甘木にあり、地域の有力者の方に土地を提供いただいた。近くにはコンビニエンスストアやレストランもあり、さらに、自動車が8台ほど駐車できるスペースも備え、後方支援の活動拠点として理想の場所であるといえる。敷地内にテントを張った質素なセンターであるが、 7月23日はセンターの整備等を行い、テーブルや椅子を運びこみ、雑草の駆除等、支援準備態勢を整えた。
土砂崩れ 流木 川の氾濫
朝倉地域は筑後川を境として北に山間地、南に盆地が広がっている。 今回の記録的豪雨によって山間部で土砂崩れが発生し、多数の流木が筑後川の支流とされる中小の川の流れを堰き止めたため被害が大きくなったと言われている。
国道沿いの下流でも床上浸水等かなりの被害があったが、 特に山間の地区では川が原形をなくすほど氾濫し、濁流が家々を襲った。ほとんどの家が流されてしまった地区もあり、死者行方不明者は40人を超えた。
センターでは7月22日に被害調査を行うため現地に入ったが山肌に多数の土砂崩れを確認。また、道路を塞ぐ流木の多さに長期の支援が必要であることを実感した。その中で被災ニーズを聞き取り、杷木志波地区へ支援に入らせていただくこととした。次週の7月29日から具体的な支援活動を計画している。
志波地区 普門院支援へ 2017年7月
普門院は本堂と本尊の十一面観音像が国指定重要文化財である。 土砂崩れは本堂の脇にある建物の上部から発生し、本堂には縁の下に土砂が流れ込んだが崩壊は免れた。
被災地では各戸の生活再建が急務であり、普門院は自力で復旧活動を行わなければならなかった。そのような状況を聞き、支援活動に入らせていただくことになった。22日から一週間経って少しずつではあるが土砂の除去は進んでいる。しかし、本堂がある上部から流れてきた土砂の量は池を完全に埋め尽くし、その上にかかっていた橋さえ言われなければわからない状況となっている。
「終わらない戦い」の始まり
「終わらない戦いだ」と才田住職が我々につぶやいた。これからの支援作業の打ち合わせを行っていた時のひとことである。
確かに本堂から参道に至る被災状況は一面、数十センチから一メートルの土砂に覆われている。 続けて「どこから手をつけていいのかわからない」と、 住職の半ばあきらめの言葉に我々も言葉を失った。
しかし、スコップ片手に黙々と仲間たちは土砂を運びだした。 自分たちのできることは小さいが、できることを精いっぱいやるだけである。終わらないかもしれないが、ここからが始まりであると大量の土砂の前で認識を新たにした。
この日は県指定の天然記念物「ビャクシン」という樹の周りの土砂の除去と今後の大雨対策として水の流れる道を作る作業を行った。36度を超える酷暑の中、汗が滝のように流れ、ペットボトルの水は瞬く間になくなっていった。
台風5号襲来 2次災害対策 2017年8月
太平洋で発生した台風5号が迷走を重ね九州に上陸する可能性があり、2次災害対策として本堂周辺には、この数日の間に土砂等が流れ込まないように土嚢が積まれていた。災害以降、ほとんど雨は降らなかったが、7月31日に大雨が降り、朝倉市と東峰村を結ぶ道路の一部が崩壊し再び通行不能となった。
2次災害は復旧・復興のスピードを鈍化させるため、普門院でも土砂除去が急務であるが、その作業を中断してでも台風対策を行わなければならない。
朝10時に朝倉市では九州北部豪雨で犠牲となった方々のご冥福を祈り、黙とうを捧げた。8月4日現在、36人が亡くなり5人が行方不明となっている。また、1200人以上が避難生活を余儀なくされている。
未来へ あるべき姿を創造する
8月に入っても酷暑が続き、この日も昼過ぎには35度を超えた。午前中の作業は、本堂横の建物にある仏具等を運び出し、汚れを拭き取って本堂に収納するものだった。住職が中から持ち出し、それをひとつひとつ本堂へ運んでいく。中には高価なものや歴史的に貴重なものもあり、これは何に使うのだろうかと首をかしげていると住職が丁寧に説明してくださった。この建物は基礎や柱が破壊されており、後日取り壊すことになっている。
午後からは参道入口の樹木周囲に堆積した土砂を取り除いた。被災前の状態がどのようなものだったのかがわからず雲をつかむような思いの中、樹木に絡みつく石や枝、根等を手で取り除きながらジョレンと鍬を使って少しずつ掻き出していった。
さらにスコップで土砂をすくい取り、40センチほど堀ったとき、被災前の参道入り口の樹木の全貌が現れ、歓声が上がった。
柿農家再生プロジェクト始動 2017年8月
お盆休み明けの活動は柿農家への支援となった。志波といえば柿というほど有名な柿の産地である。
しかし、九州北部豪雨で発生した土砂や流木等で、甚大な被害を被っている。
山腹のいたる所で土砂崩れが発生し、樹木を根こそぎ倒しながら下流へ向け土砂は流れ下っていった。そこには住宅が立ち並び、危険な状態であったが柿の木が流木等を受け止め、最悪の事態を免れることができた。
山肌に沿うように柿農園が広がる志波地域。完全に流されてしまった柿の木もあるが多くは土砂に埋まりながらも懸命に立ち続けている姿を多く見かける。再生へ向けてなんとかせねばと強く感じた。
「あきらめない」思いを受けて
現地に到着すると既に柿農家の方が作業をしておられ、我々もそのお手伝いをさせていただいた。普門院に流れ込んだ土砂を活用し、柿農園に沿う道路脇に土嚢を積む作業を行っていくものである。我々は交替しながら作業を行っていたが、被災された柿農家の方は休む間もなくスコップで土嚢に土砂を運んでいく。その体力と気力に圧倒されるとともに「あきらめない」被災された方の思いを強く感じ、スコップを握る手に力が入った。
午後からは土砂に埋まった柿の幹周辺の土砂を除去する作業を行った。「このまま放置すると根が呼吸できなくなり、枯れてしまう」と柿農家の方は言われた。将来的に農園全体を埋め尽くす土砂を全て除去しなければならないが、緊急的な措置である。しかし、今年の収穫は厳しい。先を見据えた作業である。
復旧・復興へ一歩ずつ着実に 2017年9月
9月2日(土)普門院の門をくぐると土砂に埋まっていた美しい石畳が見えてきた。さらに本堂へと続く道に立つ石碑や橋もそのあるべき姿を現してきた。この1週間でかなりの土砂が撤去されてきたことが目に見えてわかる。
豪雨発生から2ケ月が過ぎようとしている。普門院では日々作業が進められ、見違えるような状況になってきた。この日も重機が入り、土砂を掘り起こし、懸命な復旧作業が続けられてていた。
土砂に埋もれていた石碑や橋、地蔵、灯篭等が久しぶりに日に照らされ、輝きを取り戻そうとしている。しかし、被災前は緑の中で厳かに佇んでいたが周囲の樹木のほとんどは立ち枯れしたため土砂とともに撤去されてしまった。
土砂との戦い いつまで・・・
本堂下にある集会場の床下に堆積した土砂の撤去がこの日の作業となった。30畳ほどの広さの畳を上げ、板をバール等で剥いでいくと土砂が20センチの厚さでびっしりと堆積していた。
床下に潜り込むと石や枝が混ざった土砂が行く手を阻んだ。電気ノコで材木を切断しながら足場を固めて土砂を掻き出していく。 水分を含んだ土砂は重く、体力を削いでいく。しかし、午前中でかなりの土砂を掻き出すことができた。
午後からは人数も増え、一気に土砂を掻き出していった。もう少しで作業完了だったが明日へ託した。これまでで一番体力的にハードな作業も気温は30度を超えず、汗の量も少なく、疲れは感じなかった。代わりに心地よい風に秋を感じた。
柿農家再生プロジェクトⅡ 2017年9月
9月23日(土)ボランティア仲間2名が復興を強力に進めるため、前週に小型重機バックホー(ユンボ)を運転できる講習を受け、さっそくこの日から柿農園で重機を稼働させた。
先月の普門院での活動の中で重機の必要性を感じ、この地域で保有している重機を活用できないか模索していたところ、自分たちが運転できればいいのではないかという結論に至った。
土砂に埋まった柿農園で掘削を開始。手掘りでは到底できない量を短時間で掘削できるため、仲間たちから歓声が上がったが、思ったよりも厚く土砂が積もっており、1日稼働してもさほど進まず、作業の見直しを迫られた。
復旧・復興のため最善を尽くす
さらに強力な助っ人チェーンソーが登場し、流木や立ち枯れした樹木を次々と切っていった。これまでスコップと一輪車の手作業部隊であったが、少しずつ装備を強化、技術を習得し作業効率が上がってきた。被災地の状況は一様ではなく時間の経過とともに変化しており、様々な対応が求められている。何が必要なのか、何ができるのか、現場では仲間たちが最善を尽くしている。
土砂は農園全体を50センチ以上埋め尽くしている。仲間たちは柿の木を残すために幹周辺を掘り起こしていく。立ち枯れしている木もあり、なんとか来年も実を結んでほしいと願いながら。また、農園全体の瓦礫の撤去・清掃を行い、チェーンソーで切断した流木等とともに運んでいった。瓦礫は農園全体から見ると目立たなかったが、集めると山と積みあがっていった。
長く厳しい道のりをともに 2018年3月
3月4日(日)朝倉災害支援2018年の活動がスタート。昨年12月から3ケ月振りの活動は災害支援ニーズ調査を山間部と河川流域の杷木志波、松末地区と黒川地区で行った。
昨日の雨も上がり、天候は晴れて気温は20度を超え、汗ばむほどの暑さの中、3名の仲間でまずは志波地区の普門院と柿農園の復興状況を確認。また、同区域内の道路等の復旧状況を確認した。普門院は業者が入り、柿農園は国や県の財政支援を受けて工事に入るよう申請中であった。
下流域での河川沿い地域では、がけ崩れや道路の陥没等そのままの状態が残っていたが、河川の整備も進み、通行できなかった道路も開通し、車で走りながら復旧状況を確認した。
復興を信じ 松末地区支援へ
さらに山手に向かい、数か月前までは通行止めであった黒川地区に入った。途中でかろうじて残った数件の家屋が目に入る。その内の一軒では家屋や敷地内の整備をされていたが、奥の家屋には人影が見えない。コミュニティが崩壊し、戻っても孤立する状況であり、復興へ向けて大きな課題である。
ある見晴らしの良い場所から谷あいに広がる集落を見渡した。上流の柿農園が崩れ、その土砂が流れて集落を吞み込み下流へ押し流していったのだろう。その光景が心が痛くなるほどよくわかった。まだ手付かずの場所もあると聞く。我々はこの状況を心にしっかりと刻みつつ、最後に松末地区に入り、被災され、お世話になった方が居住するこの地区の支援を今月下旬からさせていただくこととなった。長く厳しい道のりをともに歩みたい。
豪雨再び福岡を襲う 2018年7月
台風7号が置き去りにした梅雨前線が昨年に続いて再び大雨を降らせた。西日本豪雨は九州のみならず中国、四国、近畿、東海地方の広範囲に及び死者、行方不明者は200人を超える甚大な被害をもたらした。
筑紫郡那珂川町南畑地区も被災
降りやまない雨は7月6日15時17分避難勧告が那珂川町から発令された。しかし、既に山からの増水した流水により流れ込んだ田畑や用水路は溢れ、道路が川となっていた。区民は朝から避難所として開設していた公民館に続々と集まり、大雨に備えた。雨はその後も降ってはやみ、降ってはやみを繰り返し、夜9時頃まで降り続いた。それからは小康状態となったが、不安な夜を公民館で過ごすことで避難した区民はゆっくりと休むことができた。
8日の日曜日まで大雨の警戒は続いたがその間、区内を随時パトロールし、以前から警戒していた危険個所を中心に被災状況を確認した。 わかっているだけではあるが家屋全壊1棟、家屋一部損壊2棟、道路通行止め7件、土砂崩れは大小数十件に上った。しかし、9年前に発生した中国・九州北部豪雨に匹敵するほどの災害に遭いながらも死者、けが人は一人もいなかったのは不幸中の幸いであった。それでも全壊した家屋の方の話によると、土砂崩れの時、家の中にいた方は一人で一時閉じ込められたが無事に救出された。 しかし、たまたま他の家族は夜、帰宅が遅かったため難を逃れたという。 まさに紙一重だった。
当センターでは、那珂川町の被災状況に基づき支援活動を次週14日から行うこととした。朝倉地域においても床上浸水等被害は発生しており、それぞれの地域の支援ニーズ状況に応じて活動範囲を広げていくこととした。
朝倉、そして那珂川町へ安全安心を守る我々の活動は広がり、絆は強固なものとなっていく。
埋め尽くす土砂に戦いを挑む 2018年7月
7月14日(土)30度を超える真夏日の中、筑紫郡那珂川町不入道区の一部損壊住宅で土砂崩れによる撤去等の支援に入った。防災士仲間13名が集まり、被災者家族とともに汗を流した。
7月6日(土)夜8時20分頃、雷鳴かと思うほどの地鳴りとともに住居の裏山が崩れた。 植林された樹木を含む土砂は一気に敷地内に流れ込み、浄化槽や井戸が設置している裏庭を埋め尽くし、さらに建て増しした納屋の柱をなぎ倒しながら一階部分の半分まで堆積した。
水道が使えないため、飲料水や生活用水の提供を一週間続けてきたが、不自由な生活を一刻も早く抜け出したいと土砂搬出を担う業者と連携して浄化槽や井戸を掘りだす作業を優先して行うこととした。
必要とされるボランティア
朝9時過ぎから重機が使えない土砂上部や柱の周辺の土砂を撤去していく。重機2台は山と積まれた土砂をトラックに積んでいく。細かい部分は人力で連携しながら作業を進めた。
前日から作業を行っている業者から被災者の方へ要請されたのはボランティアであった。技術は高くないが作業をスムーズに進めるためには助手のような存在を必要としていた。
13名のボランティアは斜めになった柱を横目にひたすら土砂を掻き出していく。大きな木の根がスコップの行方を阻むとチェーンソーで切断しながら掘り進んでいく。
いつの間にか絶妙のコンビネーションで土砂の山が見る見る減っていった。 業者の方から「めどが立った」と言われ、みんな汗まみれの顔が笑顔になった。
隠れた被災地からの声 2018年8月
西日本豪雨で被災した筑紫郡那珂川町埋金地区で8月25日(土)豪雨で倒れ掛かった竹林の伐採と裏庭の草刈りを行った。
7月6日の豪雨以降、放置されていたものでこれからの台風シーズンに向け、二次災害防止作業を伴う裏庭の清掃を行った。
道路側の玄関前に土砂が流入し、側溝を埋め、土埃に悩まされていたが、7月中に土砂は撤去された。しかし、裏庭は勾配もあり高齢の女性には厳しい状況で相談を受けていた。西日本豪雨はその名のとおり西日本の広い地域が被災している。激甚災害地域に指定されていないこの地区も紛れもなく被災地であり、復旧・復興への手助けを必要としている。住宅街から一歩中に入っていくと日の目を見ない被災された方の小さな声が聞こえてくる。
被災地に寄り添い続けていく
前日までの予報では、曇りで昼前から雨となっており、午前中に作業を終えなければならない状況だったが、天候は晴れ、気温も上がり真夏日の中での作業となった。法面上の平らな場所は比較的スムーズに草刈りができたが、法面と倒れ掛かった竹林の伐採は枯れた竹が幾重にも積み重なった状態で足元が悪く、茨のとげにも悩まされ、相当な時間を要した。
それでも午前中になんとか作業を終えることができ、庭に覆いかぶさっていた竹を伐採し、無造作に生えていた雑草を除去、見た目もスッキリ、二次災害防止にもなった。そして何よりも被災された方が「元気が出た」と言われたことが重要である。
このお宅は表側に川が流れ、裏側は山が迫っている間に建っており、大雨の際は非常に危険な立地場所にある。9年前の豪雨の時も被災され、このような状況に建つ家屋は他にも多くあり、今後も継続して手を入れていく必要がある。
復興への戦いは今から 2018年9月
7月14日(土)から16日かけて土砂撤去作業を行った筑紫郡那珂川町不入道地区の被災地で2ケ月後の9月15日(土)に基礎の撤去と倒木の玉切り等、整理清掃作業を行った。
西日本豪雨で土砂が裏庭から住居下まで流れ込み、柱が数本破壊されていたが、土砂は7月に撤去、柱も8月中に修復され、あの土砂がうそのように無くなり広々とした空間と裏庭となっていた。これだけを見れば復旧完了といったところではあるが、住居を囲っていた外柵は10月頃、井戸の復旧は11月頃であり、まだまだ不自由な生活を送っておられる。また、外見ではなく被災者の心の面の復興も道半ばである。
小さくても多くの作業がある
柱を支えていたコンクリート基礎が不要となったため、掘り起こし撤去、その後、倒木の玉切りを行い、土砂によって折れた柱や埋もれていた木材とともに薪割を行った。3名で電動ノコギリやチェーンソー、薪割、運搬等コンビネーション良く作業は進められ、午後2時過ぎに怪我なく終えた。
時折小雨の降る30度前後の温度の中での作業となったが、作業は思っていたよりも捗った。
当初の作業は、二次災害防止の裏山の雑木伐採を予定していた。しかし、住居下に処理が遅れている不要な木材等があり、まずはそれらを整理してからということになった。
「なかなか整理がつかない」と被災者の方は話されていた。まだ年齢や体力的に動ける人でも疲労で復旧が進まないのに先月作業を行った方は独居老人であり、自分の力ではどうしようもできない状況にある。大きな作業は終わっても小さな多くの作業は残っている。